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ころころoko-私の部屋


by koro2oko
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お休みします

どうも目のショボショボ感が抜けません。
よって、2~3日お休みします。

皆様も目を大事になさってくださ~い (^o^)丿
# by koro2oko | 2006-12-16 21:16

植木も自ら防寒

植木も自ら防寒_c0049395_21474050.jpg


今日の新聞にシャクナゲのことが書いてありました。
高山植物の一種で、本州では栽培が難しくあまり見ないようですが北海道には庭の木としてよく植えてあります。

冬になると楕円形の葉を葉巻のように巻き込んでいます。
これは寒さから身を守り、水分の蒸発を少なくするためなのだそうです。
葉の開閉で調整しているそうで、巻き方が強いと寒さが厳しいのがわかります。

我が家にも何本か植わっており、確かめてみるとまさにそのとおりで、葉を丸めて寒そうにしておりました。

今日の気温は最高3℃ 最低-5℃でした。
# by koro2oko | 2006-12-10 22:20 | 風景

豪華なショーにうっとり

苫小牧と白老間は高速道路以外では国道36号線が幹線道路です。
苫小牧へ行く時は東に向かいます。帰りは当然西に向うことになります。

道路は海岸線と平行に走っています。
帰る時には右手が山並み、左手が海になり、苫小牧西部から白老に行くまではあまり高い建物もなく、大きく視野が広がって真っ直ぐな道になります。
そこを運転しながら見る景色が素晴らしくて、こちらに来た時から大好きな景色になりました。

さて、毎週金曜日は絵画教室の日ですが先週も行ってきました。
朝、9時ごろ家を出て、苫小牧の教室に着くのは10時近くになります。
午前中は教室で絵を描き、午後からはお昼を食べながら皆さんとおしゃべりをしたりウィンドウショッピングをしたりして帰りは4時近くになりました。

今の時期は4時ではもう太陽は西に傾き、夕暮れの趣となってきます。
最初は夕陽をまともに受けて眩しかったのですが、小一時間走るその間に太陽が徐々に山影に落ちていき、雲が形を変えながら朱を帯びて刻々 色合いを変えていきました。

特にこの日は低気圧が過ぎた雲の残りが山から海にかけて広がっており、その合間からもれる光りの具合といい、朱というか茜というか……、言葉に表わすことは到底無理で、雄大な天空のショーを観ているようでした。
運転しながらホーとかハァーとか溜息をつきながら気持ちは拍手喝采です。

写真を撮れればよかったのですが、運転しているとそうもいかず、もし止って撮ったとしても私の腕では撮りきれなかったことでしょう。

ああいう景色を見ると地球は人間が居ようが居まいが関係なく自然の摂理で動いているのだなぁと感じます。
どれだけ人間が汚そうと、温暖化になればなったなりに、清らかになればなったなりに全てを受け入れて動いている。
大きな何かを感じます。
だからこそ汚してはいけないのでしょうね。

豪華なショーにうっとり_c0049395_9135223.jpg


木目込み人形 「春詠」。
本文となんら関係はありません って言わなくても解るって?
# by koro2oko | 2006-11-27 09:26 | 風景

木目込みの材料

木目込みの材料_c0049395_17472999.jpg

今日、楽しみにしていた木目込み人形の材料が届きました。
「平安童女 つづみ」という題です。

布は西陣織で豪華です。
胴体に切れ込みが入っていてそこに布を決め込んでいきます。

胴体を磨いて凹凸を無くし、布が自然に身体に添うようにします。
この修正である程度自分の個性を出すことが出来ます。

さて、どのようになるでしょうか ワクワクします (゚-゚)
# by koro2oko | 2006-11-18 17:48 | ひとりごと

過ぎてしまえば

過ぎてしまえば_c0049395_2055892.gif初冬らしく日曜日には雪がちらついたのですが北海道でもこの辺りはその後晴れたり曇ったりで、まだまだ雪が積もる程にはなりません。
姑の49日も過ぎてやっと生活も気持ちも普段に戻りました。
3~4年来の喉の痛みも知らないうちに取れており、やはりストレスから来る痛みだったのだと納得したのでした。

介護をした期間は舅姑続けて6年間でしたが、それが一般的に短いのか長いのかは分かりません。
感じとしてはその途中は無我夢中なのと、いつまで続くのか分からないとで長かったのですが、過ぎてしまえば長かったような、短かったような…

時間が経ち客観的に観れるようになって、自分がまがりなりにも介護ができたのは看られる側が良かったからだという思いに至りました。
意味が分かり難いかもしれませんが看られる側が文句を言う人ならば看る側も文句を言いたくもなりますものね。

姑は文句を言わない人でした。
脳梗塞で喋り難くくなってきたこともありますが痴呆が進んでも、態度で文句をいうことも出来たわけですがそれもなかったですね。

私がやることに多々不満があったことと思います。それを最後まで態度に出さなかったのです。
それが心の交流がなかったこととなるのか、他人行儀で終わってしまったのか定かではないのですが看る側としたら精神的にとても楽に過ごす事が出来ました。

では、喉の痛みのストレスはどこから?と言われると困るのですが潜在的に現実から逃げ出したいと思う気持ちが痛みとして出ていたのかもしれません。

とにかく、肉体的な疲れより精神的な疲れの方が身に応えるものですが、それがない分だけでも良かったのかとつくづく思っています。

省みて、もし自分が看てもらう立場になった時にどれだけ文句を言わずに居られるか疑問です。
その立場になってから本当の姑の気持ちが解るのかも知れません。
少し恐い気もします……

※写真は何ら関係ない木目込みの「弁慶」です。高さ16cm。
# by koro2oko | 2006-11-16 20:17 | ひとりごと