初冬らしく日曜日には雪がちらついたのですが北海道でもこの辺りはその後晴れたり曇ったりで、まだまだ雪が積もる程にはなりません。
姑の49日も過ぎてやっと生活も気持ちも普段に戻りました。
3~4年来の喉の痛みも知らないうちに取れており、やはりストレスから来る痛みだったのだと納得したのでした。
介護をした期間は舅姑続けて6年間でしたが、それが一般的に短いのか長いのかは分かりません。
感じとしてはその途中は無我夢中なのと、いつまで続くのか分からないとで長かったのですが、過ぎてしまえば長かったような、短かったような…
時間が経ち客観的に観れるようになって、自分がまがりなりにも介護ができたのは看られる側が良かったからだという思いに至りました。
意味が分かり難いかもしれませんが看られる側が文句を言う人ならば看る側も文句を言いたくもなりますものね。
姑は文句を言わない人でした。
脳梗塞で喋り難くくなってきたこともありますが痴呆が進んでも、態度で文句をいうことも出来たわけですがそれもなかったですね。
私がやることに多々不満があったことと思います。それを最後まで態度に出さなかったのです。
それが心の交流がなかったこととなるのか、他人行儀で終わってしまったのか定かではないのですが看る側としたら精神的にとても楽に過ごす事が出来ました。
では、喉の痛みのストレスはどこから?と言われると困るのですが潜在的に現実から逃げ出したいと思う気持ちが痛みとして出ていたのかもしれません。
とにかく、肉体的な疲れより精神的な疲れの方が身に応えるものですが、それがない分だけでも良かったのかとつくづく思っています。
省みて、もし自分が看てもらう立場になった時にどれだけ文句を言わずに居られるか疑問です。
その立場になってから本当の姑の気持ちが解るのかも知れません。
少し恐い気もします……
※写真は何ら関係ない木目込みの「弁慶」です。高さ16cm。